onmanseisiyouriのブログ

多聞天の様に真実を聞く耳を持ち、広目天の様に真実を見据える

「真の父母様」の価値と立場  ②


言える事は、イエス様が愛と赦しで全ての責任を持たれて十字架の道をゆかれたように、神様が堕落したアダム、エバと人類を捨てきれないで、ご自身の責任として導いてこられたように、真の父母様もまた「真の父母」として、どこまでも私たち(反対、迫害する者さえも)の責任を、持とうとされていると云うことです。いまだ真に「真の父母」の価値と立場を知る者は、(世界的な広がりを見せながらも、日本においては)神様と真の父母様と一部の限られた人たちだけだと云うことが問題です。真の父母様と情的な繋がりをますます深めるとともに、よくよく「真の父母」の価値と立場を理性と本性で理解し、血肉となるようにし(神氏族メシアとしても、二世、三世にも)伝道してゆかなければなりません。歴史を通じて人類は救世主を待望してきましたが、それはイエス様に象徴される様に一人の男性だったわけです。家庭連合(旧統一教会)に於いても、初期においてお父様を中心に摂理が展開されてきましたが、お母様と御聖婚されることにより歴史上初めて「真の父母」が、救世主として摂理を推し進める事ができるようになったのです。アダム、エバの堕落以来、待ち焦がれたイエス様を十字架の道へと追いやり、成しえなかった人類の歴史が、いわんや神の歴史がようやくスータト地点に立つことができたのです。この事をどこの誰よりも待ち焦がれていた神様のご心情は如何ばかりだったでしょうか。信仰の道とは人間が神(神仏)を信じる道とばかり思っていましたが、それよりも神様が人間を(アダムをエバを、こんな私たちを)信じてきた道だということを、御父母様の生きざまを通して私たちは知りました。人間を信じる度に裏切られ、愛するたびに踏みにじられてきた神様であることを知ったのです。しかし、いくら御父母様が勝利されたとしましても、延々と続いてきた人類の堕落歴史と、今なを続く圧倒的な堕落世界と私たちの骨肉化した堕落性本性は、み言を学び、祝福を受けた立場、原罪のない立場の祝福子女(二世、三世)といえども堕落性を拭い去ることは容易ではありません。あるブログに祝福、祝福と云うけれども、世の中には祝福を受けた私たちよりもはるかに実力も有り、世の為、人の為に尽くしている愛のある立派な人はいくらでもいる。この人達は「真の父母」も知らないし、祝福も受けていない。しかし、神様はどちらを喜ばれるだろうか?。どちらが天国にはいるべきか?。と云う内容の投稿がありました。私も含め祝福を受け、血統転換されたとは云へ、あくまでも象徴的条件であり、真に個性完成しているわけではありません。(創造本然の時代に於いてでさえ、無原罪のアダム、エバが堕落したことを重く受け止めなければなりません。)先ほどの投稿の内容について、神様にとってはどの子もご自分の子なのですが、ここは血統的にみてみれば、出来の悪いわが子と出来の良いりっぱな隣の子というところでしょうか。親としてはどれ程、隣の子のように立派になってもらいたいでしょうか。しかし、いくら出来がわるくても親はわが子が愛しいのです。これがまさに、血の本流(血統)と云うものでしょう。私たちは皆、堕落人間です。隣の立派な子も堕落性と戦っているはずです。立派な子であればあるほど、自分の堕落性を悩み、求めているはずです。足りなくとも私たちは、彼らの求めるお方を知っています。御父母様のもとに行き、祝副を受け手を取り合い共に行くところが天国であり、神様が喜ばれることです。...本来ならばアダム、エバが堕落せずに個性完成し「真の父母」となり無原罪の人類が個性完成し「真の父母」より祝福を受け、第二、第三の「真の父母」となって「真の父母」の血統、即、神様の血統が産み増え続ける事が創造本然の世界でした。創造本然の世界、堕落しなかった世界を知らない私たちは、「神格化」という言葉を良い意味で受け止めることは、出来ませんが、創造本然の人間は「神格」であり、まさしく生きれる神のごとく愛に満ち溢れ、為に生きることが喜びとなっていたはずです。(余談ですが例えばこの広い宇宙の何処かに宇宙人の存在を考え、夢を膨らませます。創造原理を知らない人は仕方がないのですが、神様の願いは私たち人類の為にこの広い宇宙を準備されたことは、創造原理でもあきらかです。二十一世紀(各国が話し合い、協力体制が整いつつある状態になったにもかかわらず、ロシアのウクライナ侵略により難しい局面を迎えています。)宇宙時代の入り口からようやく本格的に取り掛かろうとしていますが、もし、堕落していなかったならば、神様と人類にとって、最も悲惨で愚かだ残酷で無駄としか言いようのない苦しく悲しい戦争など起こり様もなく、今なお続く天文学的な殺戮の為の知恵と労力とお金が宇宙に向かって使われ、とっくの昔に宇宙時代は始まっていたはずであり、人類が宇宙に増え続け宇宙人となっていたはずです。もちろん地球温暖化による災害、公害など有る筈もなく地球はエデンの園として輝き続ける事でしょう。お互いが為に生き合うことがうれしくて仕方がない、一切の負債とわだかまりのない、あとからあとから沸々と希望が湧いてくる世界。....常に心の中に留めて置きたいものです。これまで「真の父母」の価値と立場について述べてきましたが、真のお父様が聖和され、はや十年が過ぎようとしていますが、真のお母様について語られる内外の諸事情についても、しっかりと分別してゆかなければなりません。地上に於いてお母様を中心に摂理が推し進められていますが、お母様に代わりご子女が中心となるべきと、それぞれ自分たちの支持するご子女さまについて行き分派活動をする者達もいます。しかし、この世的にも実力もあり、立派な成人となられたご子女達にもかかわらず、なぜ任し切ることができないのでしょうか?・それは人間始祖アダム、エバが堕落することにより「真の父母」になる事が出来ず「真の父母」が治める神の国が未だ地上に実現出来ていないからです。一つの小さな国でもよい(象徴的にでも)完全に神様の愛を中心とした「真の父母」の治める国を「真の父母」ご自身で建国することが霊界のお父様と地上のお母様に残された使命だからです。それはお母様にとってどれ程深刻でしょうか。いままで救世主といえばイエス様に象徴される様に男性であり、真のお父様のあまりにも大きな存在ゆえにお母様の「真の母」としての価値をどれ程認識していたのか(どこの世界に父親ばかり見て、母親を見ない、意識しない息子、娘、子供がいるでしょうか?!。)心から悔い改めなければなりません。「真の父母」はどこまでも一体で救世主です。「真の母」がわからなければ、結果的に「真の父」の価値を低くし、「真の父母」の価値そのものをあやうくするのです。お母様の「独生女」発言についても創造本然のアダム、エバが神様の二性性相を具現化されたもので、必ず独り子、独り娘でなくてはならないはずです。(真のお父様にしても第一番目、第二、そして真のお母様にしてもそれぞれ自己の責任を絶対に勝利しなければその位置に立つ事はできませんし、名乗ることもできないのは当然で、生い立ち、血統は勝利して初めて証すことが認められるのです。御父母様は原理における蘇生,長生、完成と三段階で完成級だから何もしなくても勝利できるわけでない事は当然です。むしろ蘇生,長生級の摂理課題を勝利しなければならない難しい立場が、第三のアダム、エバたる真の御父母様の立場で、お父様が聖和された今、最も難しい立場がお母様の立場です。このお母様なればこそ、よくぞ忍耐され「真の母」の(容)かたちを実体として勝利してくださったお母様にもかかわらず、離れて行かれたご子女様や一部の古き先輩食口から非難中傷されるならば、その心情はいかばかりでしょうか。私たちはエバの責任と立場について、今一度よく知らなければなりません。聖書には神様がアダムの絶対相対としてアダム、エバを共に創造されたと云うよりも、アダムの助け手、要するに助手としてアダムの体の一部を使い後から創造されたと記録されていますが、この事がエバの存在を小さくし、しかも堕落もエバによるところが大きいと云うことで、女性の立場をいっそう低いものにしてきたのが人類歴史であり、今なお続いているのが現状です。

真の父母様の価値と立場  ①

真のお父様が聖和される数年前から近況の想いを纏めたものですが、昨今の情勢に鑑み、信仰の基である神様「天の父母様」による愛と創造の原点であられる真の父母様の価値と立場について、心ある二世、三世には確信を、信仰に迷いある、確信の持てない二世、三世には、ハッキリと理論でも簡潔に示すとともに、私たちも歴史上、後にも先にもない再臨主、真の父母様と共に歩む(あまりにも不足過ぎて申し訳ありません。)幸いを感謝し、確信をもって、超えてゆきましょう。
真のお父様が聖和され、地上に於いてお母様を中心に摂理が展開されています。毅然とされ、み言葉を語られておられるお姿に感銘をうけながらも、お体のことや、ご子女様の問題、摂理を担ってきた大先輩や清平を含む一部教会中心者達の醜聞、裏切り行為、献金の問題、身勝手な原理解釈による分派活動、教会に対する不満から、あるいは拉致監禁され、強制脱会させられて反対派に回ってしまった者、清平に於ける痛ましい事件等、インターネットの普及している昨今、大半の食口にとっては真偽のほどを確かめるすべも難しいままに、あらゆる情報が飛び交い、今後の事を考えれば不安や困惑しておられる食口の皆様も少なからずいられるのではないかと思うのですが、今こそ信仰の原点である神様を中心とした真の父母様の価値と立場について再認識していく事が重要ではないでしょうか。不足な身ではありますが、共に考え整理して信仰を深めてゆく事ができれば幸いです。あえて繰り返しますが、私たちに少なからず衝撃と悩みを与えている一部の子女様や摂理を担ってきた大先輩の言動、(お母様の側近と言われる清平及び教会の中心食口達も含めて)これは今まで内部において大なり小なりあった事ですが、今後も無いとは言い切れません。外部では聖書の解釈の違いによって反対する新旧のキリスト既成教会、拉致監禁を正当化、強硬、黙認する牧師たち、便乗する脱会屋、これを後押しする左翼弁護士会、自称ジーナリスト達(後藤さんの勝訴にもかかわらず、いまだ拉致監禁され苦しんでいる兄弟姉妹がいることを、決して忘れてはなりません。また、今後の状況を考えれば増す々拉致監禁正当化、被害の拡大に懸念を抱かざるをえません。)強制脱会させられた元信者とその親族、一部の学者、(宗教関係者)、国会議員を含む左翼勢力、マスコミ、その他、原理、み言を歪曲、身勝手な解釈を行う分派と呼ばれる人々、離れて行った、しまった元信者、これらの人々に欠落している根本的なものは一体なんでしょうか?。その欠落している内容は信仰している私たち於いても、常に確かめなければいけない重要な内容があるに違いありません。何故なら一歩間違えば私たちも、彼らと同じ立場に立つかも知れないからです。おおよそ神様の存在を信じる者にとっては神様が愛の絶対主体であることに意義を唱える者はいないと思います。また、愛の主体であられる限り、対象(相対)が必然的に最初から存在する事も理解できるとおもいます。【愛なる神様が天地創造以前にたった一人で何ゼン億年存在されていたとしても、何の意味があるでしょうか?。)天宙の創造は神様の愛と栄光を現したものですが、人間始祖アダム、エバの創造は愛の神様のきまぐれでしょうか?、それともさびしくて単なる神様ご自身を慰めるために創造されたのでしょうか?愛は主体と対象が授受作用することにより成される事は、創造原理ですから主体と対象は同時に存在しなければなりません。(二元論ではなく神様の中に内在されているという事であり、必然的に絶対主体=神₌天の父母、絶対相対=「真の父母=「アダム、エバ」=人間として絶妙の容(かたち)をもって現わされたのです。)先に神様の絶対性を述べましたが、神様の絶対性は(人間に与えられた責任分担、人間以外の動物(動くもの)においてはその自律性以外)全てに当てはまることは云うまでもありません。従って神様の対象(相対)もまた絶対的な位置と価値をもっている云う事です。創世記に神様がご自身に似せて人類始祖アダム、エバを創造された(アダムのあばら骨からエバを創造した)と記されていますがアダムとエバが成長期間を経て真の夫婦となり、「真の家庭」を築き、真なる子女を産めよ。増えよ。地に満ちよ。そして万物を主管せよ。と願われた神様の三大祝福を完成させ「神の国、地上、天上天国」を実現させる「真の父母」こそ神様の愛の絶対対象(相対)と同時に、目に見えない神様の二世性相が具現化された姿として神様の愛を実践してゆかれる、生きれる神(神の独り子、独り娘として)と言えましょう。人間始祖アダム、エバの堕落さえなかったならば「真の父母」から生まれた人類は神の似姿そのままに、一人一人が天宙の中心的存在であり、個性真理体であり、神の息子、娘として、どれほど貴く尊い存在だったでしょうか。堕落故に人間は神様の御心と全く正反対の天宙の中心的存在、個性真理体が自己中心、エゴイストとなり、そのまま家庭、氏族、民族、国家、世界」を形成してしまいました。延々とつづいてきた圧倒的な堕落世界と堕落歴史のなかで飼いならされた私たちには、僅かに残る良心の理想、夢のまた夢としか考える事の出来ない存在となっておりますが...。ここで今一度聖書に戻ります。聖書には天使界が創造され、万物界が創造され、最後に人類始祖「アダム、エバ」が創造された内容が記されていますが誰しも目的無くしては環境を準備したり、整えたりはしないでしょう。云うまでもなく神様の目的は、人間アダム、エバでありアダム、エバの完成実体であられる「真の父母」と云うことになります。「真の父母」は神様の愛の原点、万有原力の起発点、時の始まり、天地創造の始まり、「真の父母」無くしては天使界も、万物世界も絶対に存在する事はなかったでしょう。まさに、アルパでありオメガである神様の愛の歴史の帰結は「真の父母」にあることは創造原理で導きされるとうりです。神様の「真の父母」への愛の衝動が、創造の始まりであることを知れば、ほんの少しでも神様の存在を認める者には、いかなる唯物進化論といえども、その間違いを理解する事ができるでしょう。「真の父母」の価値と立場に対する無知と欠落は、まだ未完成期におけるアダム、エバの堕落の最大の要因ですが、彼らを養育した天使長、天使界においてもどのくらいわかっていたか疑問です。なぜなら「真の父母」無くしては自分たちの存在は有りえなかったのですから。これはまた堕落において天使長ルーシェルが神様にどうして自分を人間として創造してくれなかったかという不公平の答えにもなっているのではないでしょうか。神様が堕落した人類を救う為、苦労されてきたのは「真の父母」を探し、立てられるためであられることは復帰原理の主な内容ですが「真の父母」は云うまでもなくお二人です。人類始祖アダム、エバであり、堕落したが故にイエス様と精霊(本来は実体の女性)、イエス様が十字架にかかり、実体の「真の父母」となることが出来なかったので(霊的救いのみ)再臨主として文先生ご夫妻が「真の父母」となられたのは周知のとうりです。当然ながら「真の父母」は誰でもというわけにはいきません。時代の摂理性、血統、先祖の功労、み旨を成し遂げるための天性の資質、その他の全ての条件を満たしたうえに必ず解かなければならないのが創造原理は云うに及ばず、諸悪の根源である堕落の動機と経路、それに基づく復帰原理です。それを完全に解明した者でなければなりません。(蕩減復帰の原則により、アダムが解明、勝利したうえでエバを探し出し、エバも責任分担を勝利しなければならない。)何故なら堕落は「真の父母」になるべくアダム、エバによってもたらされたものですから「真の父母」になるものの責任であり、なるものしか解明できないはずです。ここで救世主と「真の父母」について考えてみたいと思います。宗教界に限らず、過去にも存在し、現在にも救世主と呼ばれる人、自覚を持つ人は存在しています。では「真の父母」と救世主の関連と違いはどこにあるのでしょうか?。救世主は人類始祖たるアダム、エバが堕落したが故に必要になったのですが、「真の父母」は最初から無くてはならないものでした。先にのべましたがそれは神様の愛の実体対象(相対)であり、天地創造の始まり、具現化された神様の独り子、独り娘だからです。創造、堕落の経緯からしても(原罪を清算し、血統を正す事からも)救世主は一人を指すのではなく完成された「真の父母」であり、「真の父母」により祝福(必、血統転換『重生』のため)を受け自己の責任を果たす事により、完全な救いがもたらされる事がわかります。興味深い事に、世の救世主を名乗る人、自覚を持つ人、呼ばれる人はいるのですが「真の父母」を名乗られるのは文先生ご夫妻だけです。御父母様を非難し、ご家庭と教会、食口を攻撃し、何かにことつけ反対批判する内部も外部も分派と呼ばれる人達も「真の父母」については多くを語ろうとしません。「真の父母」の立場と価値は彼らの想像をはるかに超えているからでしょう。もし、彼らが「真の父母」の価値と立場を真に知ればどうして反対することができるでしょうか?。また、どんなに命がけでみ旨ため、よかれと「真の父母」のごとく頑張っている人でも「真の父母」ご自身になることはできないのです。直系のご子女様といえども同じことです。いかに優秀なご子女といえども、原理を解明したわけでもなく「真の父母」の歩むべき公式路程を全て歩んだわけではありません。後にも先にも「真の父母」は一代であり、私たちには第二のまた、それに続く「真の父母」の道が準備されているのです。この堕落世界と堕落歴史と綱引きされ、一瞬たりとも気を抜くことを許されない立場が「真の父母」の立場です。それは霊界に行かれても決して変わるものではありません。「真の父母」の肩には過去の総清算(霊界、先祖解怨も含めて清平摂理の重要性)と現在と未来がかかっています。イエス様の時と同様に、近づけば近づくほど(生身=人間として物理的に生理的に、時代圏、環境圏の影響を受けざるを得ない事からも)人間的に観えることでしょう。たとえどんなに人間的に御父母様が見えたとしても、摂理の奥に秘められた事情を知り、責任を取ることが誰にできるでしょうか?。(ユダをはじめ弟子たちの裏切りをイエス様の愛の無さ、指導力不足と非難できるでしょうか?。)(問題のある子女様達、摂理を担ってきた先輩祝福家庭、担っている中心食口達、私たちも含め個人の5%の責任分担まで真の父母様に押し付ける事ができるでしょうか?。)(もっと言えば結果的に堕落したアダム、エバをを創造したのは神様が不完全だということでしょうか?。)



まだまだ文章が長く続くので本日はここまでといたしました。