onmanseisiyouriのブログ

多聞天の様に真実を聞く耳を持ち、広目天の様に真実を見据える

真の父母様の価値と立場  ①

真のお父様が聖和される数年前から近況の想いを纏めたものですが、昨今の情勢に鑑み、信仰の基である神様「天の父母様」による愛と創造の原点であられる真の父母様の価値と立場について、心ある二世、三世には確信を、信仰に迷いある、確信の持てない二世、三世には、ハッキリと理論でも簡潔に示すとともに、私たちも歴史上、後にも先にもない再臨主、真の父母様と共に歩む(あまりにも不足過ぎて申し訳ありません。)幸いを感謝し、確信をもって、超えてゆきましょう。
真のお父様が聖和され、地上に於いてお母様を中心に摂理が展開されています。毅然とされ、み言葉を語られておられるお姿に感銘をうけながらも、お体のことや、ご子女様の問題、摂理を担ってきた大先輩や清平を含む一部教会中心者達の醜聞、裏切り行為、献金の問題、身勝手な原理解釈による分派活動、教会に対する不満から、あるいは拉致監禁され、強制脱会させられて反対派に回ってしまった者、清平に於ける痛ましい事件等、インターネットの普及している昨今、大半の食口にとっては真偽のほどを確かめるすべも難しいままに、あらゆる情報が飛び交い、今後の事を考えれば不安や困惑しておられる食口の皆様も少なからずいられるのではないかと思うのですが、今こそ信仰の原点である神様を中心とした真の父母様の価値と立場について再認識していく事が重要ではないでしょうか。不足な身ではありますが、共に考え整理して信仰を深めてゆく事ができれば幸いです。あえて繰り返しますが、私たちに少なからず衝撃と悩みを与えている一部の子女様や摂理を担ってきた大先輩の言動、(お母様の側近と言われる清平及び教会の中心食口達も含めて)これは今まで内部において大なり小なりあった事ですが、今後も無いとは言い切れません。外部では聖書の解釈の違いによって反対する新旧のキリスト既成教会、拉致監禁を正当化、強硬、黙認する牧師たち、便乗する脱会屋、これを後押しする左翼弁護士会、自称ジーナリスト達(後藤さんの勝訴にもかかわらず、いまだ拉致監禁され苦しんでいる兄弟姉妹がいることを、決して忘れてはなりません。また、今後の状況を考えれば増す々拉致監禁正当化、被害の拡大に懸念を抱かざるをえません。)強制脱会させられた元信者とその親族、一部の学者、(宗教関係者)、国会議員を含む左翼勢力、マスコミ、その他、原理、み言を歪曲、身勝手な解釈を行う分派と呼ばれる人々、離れて行った、しまった元信者、これらの人々に欠落している根本的なものは一体なんでしょうか?。その欠落している内容は信仰している私たち於いても、常に確かめなければいけない重要な内容があるに違いありません。何故なら一歩間違えば私たちも、彼らと同じ立場に立つかも知れないからです。おおよそ神様の存在を信じる者にとっては神様が愛の絶対主体であることに意義を唱える者はいないと思います。また、愛の主体であられる限り、対象(相対)が必然的に最初から存在する事も理解できるとおもいます。【愛なる神様が天地創造以前にたった一人で何ゼン億年存在されていたとしても、何の意味があるでしょうか?。)天宙の創造は神様の愛と栄光を現したものですが、人間始祖アダム、エバの創造は愛の神様のきまぐれでしょうか?、それともさびしくて単なる神様ご自身を慰めるために創造されたのでしょうか?愛は主体と対象が授受作用することにより成される事は、創造原理ですから主体と対象は同時に存在しなければなりません。(二元論ではなく神様の中に内在されているという事であり、必然的に絶対主体=神₌天の父母、絶対相対=「真の父母=「アダム、エバ」=人間として絶妙の容(かたち)をもって現わされたのです。)先に神様の絶対性を述べましたが、神様の絶対性は(人間に与えられた責任分担、人間以外の動物(動くもの)においてはその自律性以外)全てに当てはまることは云うまでもありません。従って神様の対象(相対)もまた絶対的な位置と価値をもっている云う事です。創世記に神様がご自身に似せて人類始祖アダム、エバを創造された(アダムのあばら骨からエバを創造した)と記されていますがアダムとエバが成長期間を経て真の夫婦となり、「真の家庭」を築き、真なる子女を産めよ。増えよ。地に満ちよ。そして万物を主管せよ。と願われた神様の三大祝福を完成させ「神の国、地上、天上天国」を実現させる「真の父母」こそ神様の愛の絶対対象(相対)と同時に、目に見えない神様の二世性相が具現化された姿として神様の愛を実践してゆかれる、生きれる神(神の独り子、独り娘として)と言えましょう。人間始祖アダム、エバの堕落さえなかったならば「真の父母」から生まれた人類は神の似姿そのままに、一人一人が天宙の中心的存在であり、個性真理体であり、神の息子、娘として、どれほど貴く尊い存在だったでしょうか。堕落故に人間は神様の御心と全く正反対の天宙の中心的存在、個性真理体が自己中心、エゴイストとなり、そのまま家庭、氏族、民族、国家、世界」を形成してしまいました。延々とつづいてきた圧倒的な堕落世界と堕落歴史のなかで飼いならされた私たちには、僅かに残る良心の理想、夢のまた夢としか考える事の出来ない存在となっておりますが...。ここで今一度聖書に戻ります。聖書には天使界が創造され、万物界が創造され、最後に人類始祖「アダム、エバ」が創造された内容が記されていますが誰しも目的無くしては環境を準備したり、整えたりはしないでしょう。云うまでもなく神様の目的は、人間アダム、エバでありアダム、エバの完成実体であられる「真の父母」と云うことになります。「真の父母」は神様の愛の原点、万有原力の起発点、時の始まり、天地創造の始まり、「真の父母」無くしては天使界も、万物世界も絶対に存在する事はなかったでしょう。まさに、アルパでありオメガである神様の愛の歴史の帰結は「真の父母」にあることは創造原理で導きされるとうりです。神様の「真の父母」への愛の衝動が、創造の始まりであることを知れば、ほんの少しでも神様の存在を認める者には、いかなる唯物進化論といえども、その間違いを理解する事ができるでしょう。「真の父母」の価値と立場に対する無知と欠落は、まだ未完成期におけるアダム、エバの堕落の最大の要因ですが、彼らを養育した天使長、天使界においてもどのくらいわかっていたか疑問です。なぜなら「真の父母」無くしては自分たちの存在は有りえなかったのですから。これはまた堕落において天使長ルーシェルが神様にどうして自分を人間として創造してくれなかったかという不公平の答えにもなっているのではないでしょうか。神様が堕落した人類を救う為、苦労されてきたのは「真の父母」を探し、立てられるためであられることは復帰原理の主な内容ですが「真の父母」は云うまでもなくお二人です。人類始祖アダム、エバであり、堕落したが故にイエス様と精霊(本来は実体の女性)、イエス様が十字架にかかり、実体の「真の父母」となることが出来なかったので(霊的救いのみ)再臨主として文先生ご夫妻が「真の父母」となられたのは周知のとうりです。当然ながら「真の父母」は誰でもというわけにはいきません。時代の摂理性、血統、先祖の功労、み旨を成し遂げるための天性の資質、その他の全ての条件を満たしたうえに必ず解かなければならないのが創造原理は云うに及ばず、諸悪の根源である堕落の動機と経路、それに基づく復帰原理です。それを完全に解明した者でなければなりません。(蕩減復帰の原則により、アダムが解明、勝利したうえでエバを探し出し、エバも責任分担を勝利しなければならない。)何故なら堕落は「真の父母」になるべくアダム、エバによってもたらされたものですから「真の父母」になるものの責任であり、なるものしか解明できないはずです。ここで救世主と「真の父母」について考えてみたいと思います。宗教界に限らず、過去にも存在し、現在にも救世主と呼ばれる人、自覚を持つ人は存在しています。では「真の父母」と救世主の関連と違いはどこにあるのでしょうか?。救世主は人類始祖たるアダム、エバが堕落したが故に必要になったのですが、「真の父母」は最初から無くてはならないものでした。先にのべましたがそれは神様の愛の実体対象(相対)であり、天地創造の始まり、具現化された神様の独り子、独り娘だからです。創造、堕落の経緯からしても(原罪を清算し、血統を正す事からも)救世主は一人を指すのではなく完成された「真の父母」であり、「真の父母」により祝福(必、血統転換『重生』のため)を受け自己の責任を果たす事により、完全な救いがもたらされる事がわかります。興味深い事に、世の救世主を名乗る人、自覚を持つ人、呼ばれる人はいるのですが「真の父母」を名乗られるのは文先生ご夫妻だけです。御父母様を非難し、ご家庭と教会、食口を攻撃し、何かにことつけ反対批判する内部も外部も分派と呼ばれる人達も「真の父母」については多くを語ろうとしません。「真の父母」の立場と価値は彼らの想像をはるかに超えているからでしょう。もし、彼らが「真の父母」の価値と立場を真に知ればどうして反対することができるでしょうか?。また、どんなに命がけでみ旨ため、よかれと「真の父母」のごとく頑張っている人でも「真の父母」ご自身になることはできないのです。直系のご子女様といえども同じことです。いかに優秀なご子女といえども、原理を解明したわけでもなく「真の父母」の歩むべき公式路程を全て歩んだわけではありません。後にも先にも「真の父母」は一代であり、私たちには第二のまた、それに続く「真の父母」の道が準備されているのです。この堕落世界と堕落歴史と綱引きされ、一瞬たりとも気を抜くことを許されない立場が「真の父母」の立場です。それは霊界に行かれても決して変わるものではありません。「真の父母」の肩には過去の総清算(霊界、先祖解怨も含めて清平摂理の重要性)と現在と未来がかかっています。イエス様の時と同様に、近づけば近づくほど(生身=人間として物理的に生理的に、時代圏、環境圏の影響を受けざるを得ない事からも)人間的に観えることでしょう。たとえどんなに人間的に御父母様が見えたとしても、摂理の奥に秘められた事情を知り、責任を取ることが誰にできるでしょうか?。(ユダをはじめ弟子たちの裏切りをイエス様の愛の無さ、指導力不足と非難できるでしょうか?。)(問題のある子女様達、摂理を担ってきた先輩祝福家庭、担っている中心食口達、私たちも含め個人の5%の責任分担まで真の父母様に押し付ける事ができるでしょうか?。)(もっと言えば結果的に堕落したアダム、エバをを創造したのは神様が不完全だということでしょうか?。)



まだまだ文章が長く続くので本日はここまでといたしました。