onmanseisiyouriのブログ

多聞天の様に真実を聞く耳を持ち、広目天の様に真実を見据える

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想い起こされるのは、ノアとノア家庭のことです。ノアは神様への信仰ゆえに義人とされ、召しいられて洪水審判の時に家族と神様から指示された生き物と共に、ノア自身が造った箱舟によって生きのびる事ができました。聖書暦で100年間(復帰原理では120年間)ただひたすらノアが平地ではなく、山頂に神様から啓示を受け、命じられた箱舟を造り続けた事は、想像を絶することです。(神様から祝福を受けていたノアの事ですから、恐らく財力もあり、裕福な家庭環境であったに違いありません。)現代技術でも難しい建造物である箱舟をノアが最初から一人で造ろうとしたとは思えません。人を雇い、家族たちもそれなりに協力をしていたでしょう。しかし、時が永くなっていくにつれ、財産も使い果たし(恐らく借金に走り回っていたはずです。)親戚、知人からも疎んじられるようになると、(昨今もそうですが.........唯物的で地に暴虐が満ち溢れ、甚だしく不信仰な時代と記されています。)世間からの風当たりもいよいよ強くなり、嘲笑の基となっていたはずです。一方、家庭内において家長の権限は絶対だとしても、ノアの人柄からして家族に有無を言わさず、苦労を強いたとは思えません。しかし、結果的に家族は貧困でどん底の苦労を味わったはずです。ノアの家庭の事は聖書ではほとんど触れられていませんが、洪水審判が終わりノアが神様から祝福を受け、アダム、エバの失敗以来、再び人類始祖というべき立場に立ったのです。しかも摂理の中心である家庭単位としての立場です。しかし、ここからが蕩減復帰における重要な内容でした。ノアが農夫となり、ブドウ畑での収穫を終え、ブドウ酒を飲んで酔って裸で寝ていたところをハムの末子であるカナンが見つけてハムに告げると、ハムもノアの裸を見てセムとヤぺテを呼び着物で父親の裸を覆ったのですが、ノアの酔いが冷めて末子カナンがとった行動に対して、「カナンは呪われよ」との記録が有ります。復帰原理ではこの記録の意味が解説されておりますが、ここまでに至るノア家庭一人一人の通過してきた心情の世界を、考えてみなければなりません。名門として財力もあり、不自由なく暮らしていたノアの家族が、ノアが神様の召命を受たばかりに、全てを失ってしまうドラマが展開されたわけですが、最初は信仰的でおおらかな父親ノアを尊敬していた家族であったとしても、段々と父親であるノアが箱舟造りに没頭し家庭を顧みなくなってくると、(しかも、全財産を貢こんだだけでなく、親戚中に借金を重ねたあげく、愛想をつかされている事に)母親であるノアの妻が、まず子供たちのことを想い非難したとしても当然で、母親の苦労を見て育った子供たちはどうでしょうか?。とりわけ母親想いのハムは成長するにつけ、ノアに対する目が懐疑的になってくるのは無理からぬことでしょう。復帰原理からすればハムはアベルの立場であり、兄弟の中でも神様から祝福を受けた立場ですから、リーダ格だった事が伺える場面が描かれており、ノアの裸を覆うためにセムとヤぺテがすぐに駆け付け、ハムの指示に従った事からもわかります。確かに大洪水審判を目の当たりして、さすがのハムも父親ノアに対して感謝と敬服をした事でしょう。しかし、歳月が流れ、現実の生活の中でやはりハムが中心になって働いたと思いますが、洪水後の大地の開拓は、大変だったと思います。猫の子の手も借りたい時なのに、ハムの目に父親ノアは、勝手気ままな呑気者に見えていた事でしょう。そして、この様子を一部始終見ていたカラス(サタン)は、ほくそ笑んでいたのです。また、どうしてノアが摂理に失敗した張本人であるハムを呪わず末子であるカナンを呪ったのでしょうか?。カナンも父親ハムの影響を受けていたであろうし、カナンはハムにとって、お気に入り、最愛の息子だったに違いありません。