onmanseisiyouriのブログ

多聞天の様に真実を聞く耳を持ち、広目天の様に真実を見据える

諸感録 ③ 宗教学者と呼ばれる人々

マスコミに宗教学者と呼ばれる人々が、コメントしているのを見て釈然としたものを感じないのは私だけであろうか。動物学者なら動物好きが高じて動物学者になるわけだから動物を愛して止まない。だからこそ動物保護のために全力を尽くす。昆虫学者、植物学者その他の専門学者にしても似た様なものであろうし、物理学者なら物理学の為に全生涯をかけても悔いはないだろう。それも物理学を愛しているからである。この様に学者と呼ばれる人々はその分野の発展の為に尽くすのである。しかし、宗教学者の中には違う人々がいる。神仏は存在しない、霊界は無いと云うことを証明する為に、宗教学者になったのではないかと思われる様な者もいる。また、信仰の戦いに敗れ、宗教学者の名のみ残した者もいれば、宗教はアヘンであるというマルクスの軍門に下って行った者もいる。(自由神学等)それは牧師や神学者の中さえいる。何が筋が通らないといっても、神を信じない宗教学者、神学者、牧師ぐらい筋の通らないものはないであろう。それから無神論、唯物論者でないにしても、信仰者でない者が宗教学者となり、中立をもって自分は広い視野で判断できると考えている者がいるが、宗教は単なる人間の考えや、思い付きでは決してない。従ってこれらの人々には決して宗教の本質は見えないであろうし、見ようともしない。そして、これらの人々が頻繁にマスコミに登場するところに、現代日本の混迷の深さを痛感する。