onmanseisiyouriのブログ

多聞天の様に真実を聞く耳を持ち、広目天の様に真実を見据える

「真の父母様」の価値と立場   ④

(創造本然のアダム、エバの「真の父母」がいつも一緒に暮らす真なる家庭を(神身)親身になって考えれば、ご子女様御一人御一人に対しての私たちの見る目も、あるいは違うものになるかもしれません。私見ですが、仮にイエス様がご家庭を持たれたとしても、当時の状況からしてやはり困難を極めたであろう事は、想像に難くありません。また真の父母様を自分の生みの親として接するのか、それともご自身の年齢、立場に関係なく、如何なる理由があろうとも徹頭徹尾人類の「真の父母」として接する事が出来るのか、これがご子女様達にとって、最も過酷な試練となるでしょう。ましてや神様(天の父母)様の願いである「真のご家庭」として、世の模範となるべき家庭の姿を現わす事が出来るのですから。)。しかし「真の父母」は何を置いても、まず全人類(カイン圏)を愛さなくてはなりません。(私たち祝福家庭の失敗を、サタンに讒訴された時、サタンとの約束で真のご家庭と引き換えにされたと云われています。この事をどれ程私たちは自分の責任として、深刻に受け止めているでしょうか?!。)ご家庭を、子女様達を犠牲にせずには行かれぬ道です。自分の子供さえ、真ともに育てられない者が、何が人類の「真の父母」かと非難されながら、それでもひたすら愛し続けて行かれるのは何故でしょうか。重要な事は死以上の恥辱と忍耐と死後の汚名を覚悟してまでなした摂理の中心者、信仰者、彼ら、彼女らの行為は結局誰の為になされたのか、真の父母様と「真のご家庭」の犠牲も誰の為の犠牲だったのか?!。ということです。...........(クリスチャンはイエス様は自分の身代わりに十字架に架かられたと心の底から自覚し、ついにはイエス様を十字架につけたのは自分だと悟った者が真のクリスチャンだと言いますが、クリスチャンを食口にイエス様を真の父母様、ご家庭に十字架を犠牲に置き換えればどうでしょうか?!。)全ては罪人たる私の救いの為(個人、家庭、氏族、民族、国家、世界と続くために)以外の何ものでもない事を、はっきりと自覚しなければ汚名を着た信仰者達、真の父母様(真のご家庭の犠牲)も決して浮かばれないでしょう。愛と憎しみは表裏一体と云いますが、今摂理の中心である韓半島の問題と統一家の問題はその事を象徴的に現わしています。ブログなどを見ていても神様の為、み旨の為、父母様の為と命がけで本当に苦労しながら頑張っている、頑張ってきた、古きも新しきも同じ統一家の兄弟姉妹達が(ご子女達におかれても)いずれの方たちもみ旨の為これが最善と信じているからこそ、それぞれ自分の指示する子女達に付き、あるいは自分の良心に忠実でありたいと非難合戦のごとくなることに大半の食口は心を痛めていると思います。しかし私達が真の父母様から学んだことは愛と責任は表裏同体だという事でした。私たちは知らなければ、関係なければ責任を持たなくても良いとするのですが、神様(天の父母様)がそうであるように、真の父母様はどこまでも責任をもとうとされます。真のお母様のもとを離れ、それぞれご自分の信じる道を歩まれておられる顕進(三男)様また国進’(四男)様享進(七男)様が神様とサタンの前に出て審判を受けられた時、(真のお母様の事を想えばこそ)自分こそが真のお父様から責任を任された者である、真の父母様の責任は自分が持つと誓われたとしても、歩みの結果如何(けっかいかん)に於いてはどうする事も出来ない場合があるかもしれません。しかし結果がどうあれ徹頭徹尾、最初から最後まで全てに於いて責任を持ち続けなければならない立場が「真の父母」です。(個人の5%の責任と云いながら結局尻ぬぐいをされているのは神様と真の父母様です。)..............教会に於いて、一般社会に於いて、食口同志、祝福家庭に於いて、御家庭におかれても全ての人間関係に於いてアベル、カインの問題は、常に私達の前に立ちはざかる大きな問題であり試練ですが、これこそ愛と責任を私たちに問われていることでしょう。堕落によって「真の父母」になる事が出来なかったアダム、エバによって生まれたカインとアベルは真の愛と責任を自覚出来なかったが故に、殺人と云う悲惨な結果をもたらしてしまいましたが、私達には勝利された「真の父母様」がおられるのです。アベルの立場であれ、カインの立場であれ上下関係、立場を超えて真の愛を中心に「真の父母様」の心情、事情すなわち「真の親」=「天の父母様」の心情にたたなければ、決して解決できない事を学んだのです。(想うに...アベル、カインの問題はすでに天使長ルーシェルに対するアダム、エバの対応に現れていたに違いありません。アダム、エバがルーシェルに対し兄の様に侍り、感謝して「真の愛」=「為に生きる愛」で接していたならば果たして堕落は起きていたでしょうか?!。未完成期とはいえ思いやり心がどれほどあったのか、主人と僕の立場はあったとしても「真の愛」育む成長を「天の父母」=神様は見ておられたに違いありません。